さて、王侯貴族の文化華やかりしアンシャン・レジーム(革命前の旧体制)最後の輝きの中で生まれた、小粒ながらも大変贅沢なアルトワ伯のフォリーと庭園(現在のバガテル公園)は、フランス革命により政府に没収されます。ちなみにアルトワ伯は我先にとさっさと亡命し事なきを得ます。
革命後のバガテル、アルトワ伯のフォリーの行方
幸い革命による破壊等は免れ、バガテル城ではレストラン営業などがされていたようです。いずれにしてもパリ近郊の牧歌的な遊興の場という性格は引き継がれていたと言って良いでしょう。
政治の変遷と変化をともにしたその後のバガテルですが、ナポレオン帝政期には、息子ローマ王の住居とする目的でナポレオンがバガテルを購入し、荒れ果てていた城と庭園を修復します。
Napoléon Ier et le roi de Rome à Bagatelle, Jules Girardet, 1910, Collection privée
ナポレオン1世とローマ王、バガテルにて。
Plan du jardin de Bagatelle. Partie du bois de Boulogne., Nicolas, Capitaine (1814) Musée Carnavalet, Histoire de Paris
1814年のブーローニュの森とバガテル庭園の平面図。
再びブルボン王家の手に戻る
王政復古により、アルトワ伯は66歳でシャルル10世として即位、フランスに返り咲きます。自らの手に戻ったバガテルを、彼は息子のベリー侯爵に譲りました。シャルル10世の王位を引き継いたルイ18世に子どもがいなかったため、ベリー侯爵は王位継承者でもありました。
ほどなく、1820年2月の寒い夜、侯爵夫妻がオペラ観劇に出かけた際に、ベリー侯爵は何者かに暗殺されてしまいます。しかし、その時ベリー侯爵夫人はすでに身籠もっており、侯爵の死後に生まれた嫡子がベリー侯爵夫人とともに、バガテルの庭園で遊ぶ姿を絵画作品を見ることができます。
Le duc et la duchesse de Berry et leurs enfants dans le jardin de Bagatelle, François Edmé Rico, Royal Collection Trust
バガテルの庭園でのベリー公爵夫人と子どもたち、ここでは、すでに故人となっているベリー侯爵の姿(手前左の男性)も描かれています。
パリのイギリス貴族の邸宅に
バガテルに大きな変化の始まりが訪れるのは、やがて7月革命後の1835年、バガテルの城と地所が売却されてからです。購入したのは当代有数の美術コレクターとしても知られた、パリ在住のイギリス貴族ハートフォード侯爵でした。侯爵は、さらに周辺の土地を買い足し、既存の庭園と城館に大掛かりな修築を加えます。
1848年の2月革命以降のフランスでは、ナポレオン3世がセーヌ県知事オスマンに命じてパリの大改造を行い、パリの街の現在の姿の原型が作られていったのはこの時代です。亡命を余儀なくされていた不遇の時代のナポレオン3世はイギリスに滞在しており、ロンドンの公園の見事さに感銘を受け、それはパリ大改造による帝都に相応しい新しい街づくりを触発したとも言われます。
ハートフォード侯爵は、外交上の助言を与えるなどでイギリス贔屓のナポレオン3世と仲が良く、皇帝夫妻はしばしばバガテルを訪れます。また、パリ万博に訪れたビクトリア女王もバガテルに立ち寄るなど、バガテルは再びセレブリティが集まる華やかな場所となっていきます。[続く]
ハートフォード侯爵とその後継者となるリチャード・ウォーレス(1857年の写真)