プチトリアノン、王妃の英国式庭園へ

王妃マリー・アントワネットの夢の庭園

プチトリアノンの瀟洒なフォーマルガーデンを見学した後は、いよいよマリー=アントワネットが作らせた英国式庭園へ。ルイ16世が即位するとすぐに若き王妃マリー=アントワネットに贈ったのが、プチトリアノン。宮廷儀礼がんじがらめの生活から逃避すべく、王妃は早速ここで自分の理想郷づくりに邁進します。

絵画のような理想の自然、イギリス式庭園の流行

流行は移り変わるもの。18世紀後半の当時には、ルイ14世の時代世界を牽引したフォーマルガーデンの対極を行くような、イギリス発信の自然風景式庭園がフランスでも受け入れられ、流行し始めていた頃です。左右対称の幾何学的な線で作られる緑の建築のような野外空間から、緑の芝生の上のスラローム曲線的な小道に沿って散策しながら、歩に沿って展開していく絵画のような自然の風景を愛でる、よりナチュラル志向の庭園へ。小川のせせらぎが池・湖に流れ込み、そこかしこで、小川に架けたれた橋、大木や古代風の東屋(ファブリックと呼ばれる)などが風景のフォーカルポイントを作る、絵画のような自然の風景がそのまま現実化されたような庭空間です。 緩やかに蛇行する小川に沿った散歩道。ツタが絡む古い石橋がアクセント。 森のように樹木が覆う小高い丘にも散歩道が続く。 池を挟んで、美しい新古典様式のファブリック(東屋)と大きなグロット。 庭園内では見晴らし台や休憩の場、風景のフォーカルポイントなどに、様々なスタイルの東屋が散りばめられるようになります。その当時の室内装飾などに見られるシノワズリー(中国趣味)は庭園にも波及していて、中国風の東屋などもイギリス式自然風庭園の定番になりました。フランスでは、自然風の風景にファブリック(東屋)をアクセントにしたスタイルの庭が、ジャルダン・アングロ=シノワ(Jardin anglo-chinois 英国=中国風庭園)と呼ばれ、大流行することになります。 トレンドセッター、マリー=アントワネットが作らせたのは、そうした当時最新流行スタイルのガーデンだったのでした。 池の淵には小舟が添えられていて、当時の舟遊びのシーンが思い描かれます。 庭の風景を散策しつつ、客人をもてなし、舟遊びをし....何か日本の大名庭園に共通するものも感じられますね。 しかしながら、宮廷や王妃としての義務に背を向けて、国庫からの予算を大量に費やし、夢の世界に逃避する王妃の姿は、当然苦しむ民衆からの避難の的ともなりました。 王妃が革命勃発の知らせを耳にしたのはプチトリアノンの庭園で過ごしていた最中、グロット(人工の洞窟)のあたりでのことだったといいます。翌日にはルイ16世一家はパリに連れ戻され、二度とヴェルサイユに戻ることはありませんでした。 庭の一角に作られたグロット(人工の洞窟、当時の庭の定番アイテム)。 現在は、昔日の優雅な姿を取り戻しているプチトリアノンの庭園ですが、当然のことながら、突然に主失い、革命を経て、打ち捨てられ荒れ放題だった時期もあります。何せ庭は手入れが命です。しかし荒れ果てた庭園は、歴史的な大掛かりな修復が行われた19世紀のナポレオンの時代を経て、現在に至ります。(この話はまた別の機会に。) 愛の神殿 プチトリアノン プチトリアノンの宮殿から、イギリス式の小川に沿って庭の中を進んで行くとたどり着く、ファブリック「愛の神殿」も絵画的風景を構成するフォーカルポイントのひとつ。恋人フェルゼン伯爵とのデートの場所だったとも語られます。そう言われている所以は、宮殿の王妃の部屋からも眺めることができるからでしょうか。 緑に囲まれた、コリント式の円柱が並ぶ、新古典様式の庭園建築です。(誰もいない瞬間は珍しいので大満足。)ちなみに中央の愛の矢を作っている最中のアムール(キューピッド)は、18世紀フランスの彫刻家ブーシャルドンの傑作のレプリカで、オリジナルはルーヴル美術館で鑑賞することができます。   こちらはプチトリアノン宮殿2階の王妃の部屋の窓からの眺め。現在は窓際まで寄ることはできないのですが、それでも遠くに愛の神殿が見えています。
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