建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールが設計した、32本の柱を擁するイオニア式列柱廊です。中央には、17世紀のフランス彫刻としても傑作のひとつに数えられる、ジラルドン作「プロセルピーナの略奪」の群像が配置されています。
大理石の列柱が並ぶミネラル空間
ラングドック地方産のカラフルな大理石を合わせることで、最高級とされるイタリア、カラーラーの白い大理石が一層引き立つこのボスケ、ボスケ(木立)というより、円形の建築物がそのまま組み込まれたような、他のボスケとも少し違った印象を受けるかもしれません。それもそのはず、このボスケは、ルイ14世がイタリア旅行で不在中のルノートルに代わって、建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールにリクエストして設計させたものです。
実は、注文主ルイ14世もこのボスケの仕上がりには完全に満足はしていなかった様子ですが、イタリアから戻って来てこのボスケを見たルノートルは、さらに不満足だったようです。庭園はあくまでも緑の建築空間であることを旨としていたルノートルにとっては、建築然とし過ぎに映ったのでしょう。ルイ14世に感想を求められ、建築家にボスケの設計をやらせたら、まあこんな出来になるでしょう、と皮肉まじりのコメントを残しています。
王と庭師の信頼関係
ところで、庭園設計者のルノートルとルイ14世の間には、友情とも呼べるほどの厚い信頼関係があったと言われています。王は、25歳年上の庭園建築家ルノートルを大変高く評価し、リスペクトしており、貴族の称号も与えています。ちなみにルノートルの紋章には、カタツムリが3匹いて、陛下はいつも庭園施工の進捗が遅い、遅いとおっしゃるので、私の紋章にはカタツムリが良いのでは、というルノートル自身の希望を反映したものなのだとか。
一方、ルノートルには美術収集家という一面もあったのですが、自らの死にあたっては、そのコレクションの一部をルイ14世に贈呈しています。彼らの間には、王と家臣という関係を超えた、庭づくりを通じての理想や美意識、価値観の共有があったことが伺えます。
彫刻家ジラルドン作、プロセルピーナの略奪
話が横に外れましたが、コロナードのボスケに戻ります。
中心に据えられたフォーカルポイントの大理石の彫像は、ローマで修行したフランスの宮廷彫刻家ジラルドンによるもの。ジラルドンはヴェルサイユばかりでなく、フォンテンヌブローやチュイルリーの宮殿、庭園などにも作品を残しています。
冥府の王プルトンが大地の女神ケーレスの娘プロセルピーナを見染め、自らの妻にと誘拐してしまう。その略奪の瞬間が彫刻となっています。ケーレスは娘を連れ戻そうとするのですが、その時にはすでに冥府のザクロを食べてしまっていたプロセルピーナは、完全には地上に戻れなくなってしまっていました。一年の半分を地上で、後の半分を冥府で暮らすことになったプロセルピーナ。春から夏にかけて春の女神プロセルピーナが地上で過ごすことができる半年間が、花と緑の季節となったのでした。
ちなみにこの彫像は、神話と象徴をベースにした庭園の全体的なアートディレクションの計画に沿って1674年に大量注文(グランド・コモンドと呼ばれる)された彫像群の1作品だったのですが、計画に変更が生じ、結局ここに飾られることになったのだそうです。