中世の庭というと、まず、このような
囲われた庭(ラテン語でホルトゥス・コンクルススhortus conclusus)
が思い浮かぶでしょうか。
元来、安全に囲われた空間に、
楽園を再現しようとしたのが
庭の始まりとされています。
そして、
閉ざされた庭はマリアの処女性を暗示するなどの解釈とともに、
美術においての楽園に座すマリアを描いた宗教画の図像の伝統が
確立されていくという流れがあります。
楽園的な閉ざされた場はまた、愛を語る場所にもなり、
悦楽の園(ホルトゥス・デリキアルムhortus deliciarum)
としての表現の流れにもつながっていきます。
何れにしても中世ヨーロッパの庭というと
回廊が方形の庭を囲い込む修道院の中庭的な、
閉ざされた小さな庭、
というイメージをお持ちの方が多いのではないかと思います。
そうそう、ビンゴです。
これらについては、書き始めると
相応長くなりそうなので、改めようと思うのですが、
しかし中世の庭、実はそれだけではありません。
かつてのヨーロッパの庭園は
王侯貴族のもの、または修道院など、
何れにしても世俗・宗教的権力者のものでした。
城館には庭園がつきものですが、
その庭園は、城館の周りを見渡せる範囲にはとどまりませんでした。
というのも、
彼らの生活にとって必要不可欠なのが
狩猟というアクティビティ。
狩猟は権力階級の特権であり、
遊びや気晴らしだけではなく、有事の戦に備えての訓練であり、
食料供給という役割もある、一石二鳥以上の重要なものでした。
ゆえに城館を中心とした領地の囲いは、
城館に隣接する囲われた庭や果樹園や菜園のみならず、
狩猟をする森、生きた獲物を保全しておくための森など
ときに数千ヘクタールに及ぶこともある
大変に広範囲なものにもなりました。
中世からルネサンスにかけて、
社会が大きく変化したように、
庭園も大きく変化します。
閉ざされた内向きの空間から
大きく外の風景に向かって開かれていくのです。
[ヴィラ・デステ庭園のテラスからの眺望、ティボリ、イタリア]
しかし、
急に小さな庭園から広大な庭園が生まれていくのではなく、
その変化の土台にはもともと広大な領地があって、
外界への認識の変化によって、
庭園のありようが変わっていくのです。
この辺はイタリアのルネサンスの庭園などを見ていくと
とても面白いので、追ってどこかで書き留めておきたいと思います。
美術作品などでもそうですが、庭園についても
人間の世界に対する捉え方の変化が
そのまま空間作りの大きな変化に連動していく。
庭園のありようはそうした時代の感性を
端的に表現しているという点でも非常に興味深いと
最近とくに感じています。
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*中世ヨーロッパ史に関する書籍: