モネの庭―まさに画家のパレットのような色彩の庭―
モネの庭は花の庭と、地下道をくぐっていく蓮池の庭の2つに分かれています。
古い農家を改築した住居兼アトリエの建物のまわりに広がる花の庭は、
幾つかの幅広い通路に、幅広めのアーチがしつらえてあり、クレマティスやつるバラが絡んでいます。
そして、白、黄色、ピンクから紫や青へ、所々にオレンジや赤、まるでパレットに広げられた絵の具を見るように、様々な色形の花々が自由に心地よさげに咲いているのが、画家の庭らしさにあふれています。なんとも柔らかく自由な光と色にみちた空気感を感じます。
モネの庭はモネの庭じゃない
えっ?どういうこと?
と一瞬びっくりするかもしれません。
生前のモネは、自分が制作旅行などで不在の間も、庭師に庭の手入れについて事細かに指示を出したりと、庭造りに情熱を燃やし続けました。
しかしモネの死後、庭は手入れをする人も居なくなり、一時期は荒れ果てかつての面影は失われます。その庭が復活するのは、ここ数十年になってからでした。
すでにかつての庭の姿形はなくなっています。
当時の種の注文書などから植物を特定したり、モネの作品に描かれた庭の姿から、現代のガーデナーによって、今のモネの庭が再び作り上げられ、維持されているのです。
現在は来園者も年間を通じて沢山あるので、いつ来てもなるべく花が咲いているようにと、当時とは違う工夫もなされているそうです。
ということで、実は生まれ変わっている現代のモネの庭は、訪れる人にとって、限りなくモネの庭らしいのがすごいです。
過去の資料や絵画から再現されたある庭の姿。
そもそも植物が主役である庭は、常に移り変わる存在でもある。
ガーデナーが変われば庭も変わる。
このモネの庭は、モネらしさを志向しているから、よりモネの庭になって輝いています。
印象派の傑作、「睡蓮」の庭
ヤナギが枝垂れ、スイセンが浮かぶ。
遠くに日本風の太鼓橋のかかったモネの睡蓮の池の絵は、シリーズで何作も描かれました。
庭の池の水は空を映し、雲を映し、庭に空を取り込んでしまうような、空間の奥行きをぐっと広げる役割も果たします。
ぎりぎり満開のフジが終わりかけの太鼓橋の上は、絶好の撮影スポット。
いつまで待っても人がいなくならない。。。
仕方ないので、これでよしとしました、バシャ。
でもみんな楽しそうです。
名画そのものの風景の中に自分が立って写るということで。
モネの庭のお散歩は、モネが想像した美しい世界、名画の中に自分自身が入っていくようなものです。2Dの絵を描くための庭だったのだろうけれど、たしかに最後には、描きたかった絵の風景が実現された、庭そのものが最高傑作だと言いたくなってしまうかもしれません。
まだバラは咲き始め、春の終わりかけの時期でしたが、クレマチスやフジ、アイリス、ポピーやシャクヤク、オダマキ、スカビオサ、ツツジの花は満開のなかなかによい季節でした。
庭は訪れる時期によって雰囲気も変わります。また季節を変えて行ってみたい、と心にとどめつつ。
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